藤原八弥画伯の「みちのく」について~5

見えてきた光明(地元の方の親切に心から感謝)~1

数日が経過しただろうか、河野景子さんから事務所に電話が入った。

内容は、数年前に藤原八弥先生の作品展が有志により開催され、それを記念して作品集が作られ、その作品集の冊子が手に入ったので郵送するとのこと。またその作品集をくださった方の名前と電話番号を教えてくださるとのこと。

「それならばなんとかなる」私の心は安どの気持ちから、すぐに落ち着きのないはやる気持ちへ変化していった。

それから2、3日後、北上市生涯学習センター(遊・YOU学園)芸術文化係河野景子さんから平成16年7月20日消印の封筒が届いた。

はやる気持ちは粗雑な自分が出てしまう。封筒を開ける際、びりびり開けてしまい変な形で封筒が破れてしまった。

その時の送り状にこのように書いてあった。

「先日お問い合わせのありました藤原八弥氏の資料を差し上げます。よく見てみましたら、絵の所有者が明記されていないので、あまり資料としてはよくないかもしれませんが、この展示会の直後に八弥先生は死去され、まとまったものはこれが最後です。この冊子は武田信玄さん(仮名)(携帯・・・・・・・・・住所・・・・・・・・・・・)という方に譲っていただきました。詳細は直接お問い合わせいただければ幸いです。」

私はその封筒からA4番の厚さ5ミリほどの冊子を手にとり、パラパラとせわしくページをめくりあの絵を探した。

 

あった!

作品集の冊子の中間ほどのページに1ページ全部を使い「みちのく」という題名で紹介されていた。

私は早速河野景子さんに電話した。

「ありがとうございます」私は河野景子さんにここまでやっていただいたことにお礼を言う。何度もこの言葉を繰り返した。よく使う言葉ではあるが、こんなに心底から発した「ありがとう」という言葉はひさしぶりである。というより何か初めて使った言葉であるかのような響きを感じた。

河野さんは不十分ではないかと心配してくださったが、なんの、なんの、これだけあれば必ずあの絵にたどり着ける。冊子には作品展の実行委員会の委員長のあいさつ文もあるし、何と言ってもその冊子を河野さんに渡してくださった武田信玄さんにも連絡が付く。

あとは自分の足で必ずあの絵にたどり着ける。

私の自信は漲る。もう大丈夫必ず会える。

つづく