令和のはじめに

 

<令和のはじめに>

 

史上最長の10日間のゴールデンウイークも終わり、いよいよ令和の時代の本格的スタートとなった。

我が家はこの連休の後半を使い、静岡県の川根温泉に3泊、寸又峡温泉に1泊という遠出の嫌いな私好みの近場の国内旅行で過ごすことにした。

川根温泉はバブルの時代の一億創生事業に寄り各自治体に配られた1億円で温泉を掘り当てたものらしい。したがって温泉としての歴史は浅く全国区の温泉ではないが、お湯そのものはなかなかのお湯で、肌はすべすべ、湯加減も丁度良い源泉かけ流しの温泉である。川根はお茶の産地でもあり、丁度茶摘みの時期にあたり、新緑に覆われたお茶畑が美しく、あちこちで茶摘み体験なども行われていた。新緑にあふれた山々に囲まれ、5月らしい清らかな風に吹かれ、初夏の言葉にふさわしいまだ全力ではないが、しかし強いエネルギーを誇示する太陽の光を感じながら、すがすがしい気持ちで令和元年を迎えることができた。

明仁上皇陛下が天皇の退位の意向を示され、私たちが初めて見る上皇という立場に就かれ、これもまた歴史的に稀な出来事として、その1ページの中に身を置くことできたことは、歴史好きな私としては大変興味深く有難いことであると感じる。

ところで令和元年を迎えるにあたって、旅行の最中平成という時代はどういう時代であったのだろうかと振り返って考える時間があり、私なりに自分の感想をまとめておこうと思い1年ぶりにこのブログに書き込むこととした。

 

<平成を振り返って>

平成という時代は、私にとって我が家にとって、重要-重大-骨太-中心、いや平成は時代としては我が家にとっては歴史そのものである。

平成元年に家内と知り合い3年に結婚し、4年に長女が生まれ8年に次女が生まれ、下の娘も平成が終わる今年の3月大学を卒業し社会人として生活が始まった。結婚から子育て終了まで、幸せに過ごさせていただいた我が家の歴史として平成を振り返ったら、いい時代であったと言わなければ罰が当たりそうだ。

しかし、ふと社会そのものの状況に目をやると、私の眼にはどうしてもこの平成の30年間は、あまりいい時代ではなかったとの思いが占めてしまう。何か大切なものを喪失した時代であったような気がしてならない。

 

もちろん平成という時代に新たな人類が誕生し、新たな歴史を作ったわけではなく、昭和の時代、その前から途切れることなく人々は生活を営み、歴史を作っているのであり、その原因もその前から累々築かれている。しかし原因が前代にあったとしても平成という時代は、方向性を修正することなく、ある方向に加速して大切な何かを喪失してしまった。そんな気がしてならない

 

私の平成という時代の感想を一言でいうと、

「矜持を放擲し、偽善に覆われた時代」

先ほど喪失した時代という言葉を使ったが、考えてみれば、平成のはじめバブル経済が崩壊し、経済的には「失われた20年」といわれ、30年の平成という時は、その3分の2が失われていたことになるので、それはそれでやむを得ないともいえる。

しかし失われたのは「経済成長」という側面であり、経済的にデフレ経済が進行しても、人間そのものの心は必ずそれとは別の場所で生きることの価値を発見し、力強く時代を築いてゆくものであると思うが、どうもこの時代は、経済で失ったものを取り返すのに必死で、その行動原理はかつてない経済至上主義となり、国民の隅々まで経済的価値とは別の価値を発見できなかった。

ただただ経済的利益のみに価値を求め、大切な人にいただいたものまでもお金に替えてしまうような虚しい出来事が多々あり、また、そのためなら何をしてもよく、「自分さえよければよい」、「今さえよければよい」という風潮が広がり経済的側面以外のものは失いつつ、それに気付かずに、いつしか空洞な社会が誕生したように思うのである。

 

<女性の社会進出?>

平成といえば「女性の社会進出」という大合唱があった。

女性が平成の時代に社会に進出してきたらしいが、女性はどこから進出してきたのであろうか?もともと女性が社会にいなかったかのようなこの言い方を私は好きになれない。

家庭という最も大切ですべての基礎をなす最小単位の社会、自治会やPTA等子供を守るためにも欠かせない地域社会は、社会全体から見ても極めて重要な社会であり、この大切な社会を支えていたのはほかでもない女性であった。

平成という時代は、経済的価値の増大に直接結びつかないものに対し、振り向くこともなく切り捨て、女性を経済社会に移動させ、引っ張り出すことを絶対の善として、「女性の社会進出」、「女性の活躍」「女性の地位の向上」という言葉でポジティブなイメージとこれにより明るく力強い未来が開けるような印象を与え、逆にこれに疑問を呈するだけで、女性の敵とみなされ、時代錯誤とみなされる。

経済活動の場こそが独占的な花舞台となってゆき、他の社会にいる者は肩身を狭くし、経済社会以外の社会は空洞化し荒廃を余儀なくされる。

あることの反動であろうか。平成生まれの女性の中に、専業主婦を希望する女性が増えているという。また子供のそばにいてあげたいという女性の声も聞く。これらの女性の選択肢は、就業を希望する女性の選択肢と価値とし同等でなければならない。そして機会は均等でなければならない。仮に女性も働かなければ男性と同等の地位を得られないというならば、

かつて妻に対して

「お前!誰に食わしてもらっていると思っているんだ!」

という幼稚なせりふを吐くつまらない男の考え方に社会が追随することになってしまう。

女性の社会進出などといわなくても女性はもともと社会で大活躍をしていたと思うのは私だけだろうか?

子供達がお母さんを連れて行かないでと言っている声が聞こえるのは私だけだろうか?

女性が家庭という社会や地域社会にあっても、その地位は男性に劣ることなど絶対にない。その評価が間違っていたのである。

女性は子供を産むという大仕事をし、男性にも劣らぬ仕事もして疲弊しないか心配である。社会は女性が疲れて元気がなくなってしまっては本当の意味での社会の活力は失われてしまうからである。

 

<えっ!なぜそんな人たちが>

えっ警察官が?えっ教員が?えっ弁護士が?えっ裁判官が?えっ税務署の職員が?えっ老舗が?えっ大企業が?えっ銀行が?えっ官僚が?えっ自治体が?えっ国の省庁が?

平成の30年間の出来事には、誰もがこんな言葉と驚きを感じた瞬間が多かったのではないだろうか。しかし平成の最後にはその驚きも感じなくなるほど妙に完成度が高まってしまったように思われることは残念なこととしか言いようがない。

一つ一つの「えっ」の出来事を取り上げているときりがないが、「えっ?」の出来事は、私が思うに、平成以前であれば、チンピラか、成金主義の新参者、自らの仕事などに対し自覚のない一部の者しかやらないような「嘘やズルやインチキ」を伝統や格式、地位や名誉、社会的責任に誇りを持つべき、本来そんなことはしないであろう人や団体が臆することなくそんな「ズルやインチキ」を競って行い、矜持という概念を社会から喪失させてしまったのである。

 

ふるさと納税の件で話題となった泉佐野市の問題などは、私が指摘する「えっ?」の象徴的出来事である。納税の本来の意義やふるさと納税を実施した法の趣旨に鑑みれば、どんな手段を用いても金を集めればよいというものではない。泉佐野市の姿勢は明らかに間違っていると思うのだが、泉佐野市という自治体は、いまだそれを間違っていたとは認めない。こんな国と自治体のやり取りが普通にメディアの世界で飛び交うのだが、巷間のお店の店長とズルしたアルバイトの会話のようで情けなく、泉佐野市は矜持という概念を放擲したのである。

記憶に新しいもう一つ象徴的な出来事を上げれば、障害者雇用の雇用率達成の問題である。「障害者の雇用の促進等に関する法律」という法律が昭和35年に制定され、改正により、障害者雇用率制度が設けられ、ある一定の規模の民間事業主は常時雇用者の一定割合の障害者(2.2%)を雇用しなければならないというもので、この雇用率を満たさなければ不足する障害者一人につき5万円の納付金、いわゆる罰則金を納めなければならないというものである。同様な義務は国の省庁にも課され、その雇用率は2.5%であるが、行政機関側には罰則はない。

民間の事業者は達成しやすい職種と達成が困難な職種があると思われる。民間は事業による信用と収入をもって雇用が成り立つのであり、どうしても雇用者の生産性の高さを求めざるを得ないし、職種によってはどうしても障害者に受け持っていただく範囲が狭くなってしまう職種もあると思われる。しかし民間事業者で達成ができなかった職種の事業主は、法律に従い雇用不足者一人について5万円を納付していたのである。

厚生労働省とその天下り先である独立行政法人は同制度の実現のため厳しく各事業者を監視していたが、なんとその取り締まる本家本元の厚生労働省をはじめ28の国の行政機関で障害者雇用率を水増ししていたという出来事があった。

同法の主旨とその公共的責任を考えれば、国の行政機関がそんな「嘘とズルとインチキ」を行うことは考えられないのであるが、平然と3700人分のインチキ申請をしていたのだから開いた口がふさがらない。「眼鏡をかけていれば視覚障害者」という民間でも助成金の詐欺指南役でもいなければ使わないような手口を国の行政機関がこぞってやっていたのである。行政機関にも未達成の場合の罰金を設けるなどの議論があるが、所詮税金であり、何の責任も痛手もない。公平性の確保とは無縁なインチキな対応を重ねる国の対応にますますあいた口がふさがらない。

しかし私がこの問題でもっと驚いたのは、そして根の深さを感じたのは、このことで民間の事業者や国民が本気で怒らなかったことである。その制度に対する不満や是正、納付した罰金の返還などを求めて、運動が起こってもおかしくないし、国の行政機関の行ったこととして国民がもっと怒ってもおかしくないと思うのだが、意外と静かにこの問題は社会的に鎮静化していった。

障害者雇用率の問題は、「矜持の放擲と偽善」という時代のエキスのような問題をはらんでいる。

国の行政機関が障害者雇用率を達成できなかった理由は何か?なぜ助成金詐欺のような手口で水増ししてまでその達成を成しえなかったのだろうか?行政機関は民間と異なり、障害者の雇用によりその事業の安定性や収益性に多大な影響があるとは思えない。行政機関の仕事であれば、障害者の方でも十分にこなせる分野の仕事はあるように思うし、人件費の問題でも民間のようなシビアな問題はない。本当の理由は知るべくもないが、明らかに言えることは、民間とは比較にならない雇用可能性があるにもかかわらず、法の定める雇用率を達成しなかった、またはできなかった事実であり、その事実は障害者の雇用率達成において職種によっては民間では相当の困難が伴うことがあることを物語っているという事実である。

しかしである。同法に定めた雇用率そのものに対し、民間での達成可能性について実情に即しているのか、内実は本来の目的を達成するのかという事実を検証しようと主張するものは皆無に等しい。国の定めた雇用率の根拠は私にはわからないが、実情に即する数値であるならば、国の省庁に対し、国民の目はもっと厳しくなければならない。

そういえば、「年金百年安心プラン」  政府がこんなプランを示したが、国民はほとんど関心を示さず文句も言わず、街頭インタビューで

「年金はもらえないと思ってますから・・・」

といっている人が結構いたように思う。この独特の国民と政府の奇妙な信頼関係も平成らしいといえば平成らしい。今まさに年金百年安心プランは嘘であったことが明確になったが、誰も国民は文句を言わない。国民は今の制度で100年安心プランはないとわかっており政府の嘘もインチキも織り込み済みのようだ。政府もそれを知りながら大々的に発表し、結局嘘であるのだが、国民と政府は許し合う。

何と麗しき信頼関係?であろうか。

 

 

<言論の自由はどこに?>

また平成らしい出来事としてこんなことがあった。ある国会議員が知人の結婚式のスピーチで

「ぜひ子供は3人産んでください」という趣旨のスピーチをしたらしいが、これを録音していたものがメディアに言いつけ、メディアもこぞってこれを取り上げ、その発言者を袋叩きにしたのである。その発言した国会議員は最後には謝罪に追い込まれた。

私の結婚式のあいさつでも妻の恩師がスピーチで

「自分の兄弟姉妹よりもぜひ一人多く子供を産んでください」

とのスピーチがあった。

かつて誰もが結婚式でいわれたことであろうと思う。しかし、実はこの手のスピーチ、その言葉を覚えていて、「あの方がおっしゃってくださったあのことは大事だ」と思って、子供を作ってきたという人はおそらく皆無であろう。ほとんどの人がいわれた言葉によるのではなく、自分達で考えて子供の数は決めているし、欲しくてもできなかった場合もあると思う。私も妻も兄弟姉妹は2人であるが、残念ながら我が家の子供も2人だ。

私も何人かの結婚式でスピーチをしたことがあるが、実のところ私も「たくさん子供を産んでください」とスピーチをした。

これは自分が子供を育ててみて、できることならもっと欲しかったなと思っているし、子供の成長を見ることの楽しさもあり、結婚して子供を育てることの大切さもわかってくるので、後輩の新婚さんにぜひ伝えたいからいうのである。

いわば、「親孝行は大切です」と経験をしてきた年配者が若者に言うことと変わらない社会的申し送り事項である。

結婚式という、これから家族となってゆくことを約束する二人と約束する場所で発言するのであり、何も悪いことではないと思う。その類(社会的申し送り事項)のことにあそこまで袋叩きにする人たちの本当のところの目的は私にはわからないが、一言だけ事実として言えば、

クマに食べられる鮭も、鮭を食べるクマも、それを木彫りにして眺めている人間も、生物として生まれてきた以上そのファーストミッションは子孫を残すことにある。人類はこのことを忘れてはならないと思うのである。

しかし平成という時代は、その事実や真実を述べることを拒絶する時代であり、それを(事実を述べること)悪ととらえる時代であった。

 

理由は「配慮」?、物理的要因はインターネットの普及であろう。

インターネットの類が今後もますます進歩してゆくことは避けることはできないし、避ける必要もないであろう。インターネット等の功罪と対応については、専門家にゆだねるしかない。

しかし平成の配慮のありかた、又は行き過ぎは、事実や真実を覆い隠してしまう怖さがある。

様々な人に配慮することは重要なことだが、いわゆる一般論を述べるときまで個別的な事情を考慮していたら、全ての一般論は消滅してしまい、一般社会通念が崩壊してしまう恐れがある。また配慮というものを誰に対し誰のためにするのかというところでも、平成という時代は方向性を見失っていたように思う。場合によっては、「配慮を主張する私はエライ」という配慮発言も見受けられたように思う。

冒頭の女性の地位に関すること、子供の権利のこと、子供のいじめや教師の暴力のこと、障害者の権利のこと、各種ハラスメントのこと、マイノリティーといわれる方々のこと、少子化のこと、はたまた天皇制のこと。

様々なことで事実と真実は配慮のありかたによって覆い隠されていった。かくして偽善的発言のみが求められ、事実と真実を含む発言は配慮を欠いた発言として袋叩きにあい、その言論は抹殺されてゆき、地位のあるものはその地位をはく奪されることとなる。平成という時代、この国に言論の自由はあったのだろうか?

テレビのコメンテーターなどは、偽善ブランドの衣装をつけ、偽善会員のバッジをつけ、偽善審査を受け、偽善発言のボイスチェンジャーを準備し、配慮に配慮を重ねた偽善的発言を発信してゆく。

結果的に事実と真実からかけ離れた社会認識が形成され、様々な施策も功を奏すことができない。

我々があることを改善しようとすれば、最初にすべきことは事実と実体の把握であり、それを土台として改善すべき様々な施策を立てるのであるが、その現状事実を見誤れば、いわゆる頓珍漢な、下手をすれば改善とは逆方向の施策を立ててしまうことになるからである。政府の政策もそんなことが続いているといったら言い過ぎであろうか?

 

 

<言論を封殺した魔法の言葉>

もう一つ平成の時代に、立ち止まることなく、再考することなく平成という時代を作り上げた魔法の言葉がある。

それは「多様性」という三文字である。便利な言葉である。

つまり「どうあるべきか?」「何をすべきか」「真実は何か?」「何が正しいか」などという命題は無用なものとしてしまう摩訶不思議な三文字。そしてその多様性を受け入れれば「グローバルな進歩的な心の広い人間」であり、「こうあるべき」「真実はこうである」などと真剣に議論持ち出す人間は「旧時代的な頭の古い頑固な人間であり、狭量な人間である」とレッテルを張る。

けして多様性という言葉が悪いわけではなく、多様性そのものを重んじることは大切なことである。

問題は、この多様性という三文字を都合よく使い分けることである。巷間では身勝手や楽なことを通そうとするときによく使われ、社会全般においては、異なる意見を封殺するときに、または優越性、賢者ぶりをアピールすることを目的として使われることである。そしてまたこの「多様性」を重んじる進歩的な人間であると自負している者に限って、他の多様性を認めようとしない。

以下の記事は令和元年5月4日の読売新聞の社説である。

 

「既成政党への不信」人やモノ、カネ情報の移動の速度は格段に上がり、グローバル経済とインターネットの普及は新たな産業や快適な生活をもたらした。にもかかわらず閉塞感をぬぐえないのはなぜなのか。欧州と米国では近年、連鎖反応のように広がる動きがある。

既成政党やエリート層に対する不信、自国第一主義、移民への敵視だ。グローバル化と技術革新から取り残された人々の反発をポピュリズム(大衆迎合主義)的な政治家や極右政党が煽り立て、既存の支配層を脅かす。

グローバル経済で格差が広がった。国際機関や国際協定への参加で政府の権限が制約された。こうした状況が背景にあろう。

令和元年5月4日読売新聞社説『民主主義の退潮を食い止めよ ポピュリズムが社会をむしばむ』より

この論調に違和感を感じてしまうのはなぜだろうか。多様性を認容しないものを批判する論調にも見えるが、一方の意見や主張は多様性の範疇ではないと決めつけているように読めてしまう。読売新聞の論説委員でさえも、このような魔法にかかってしまう。

 

<時代の流れ>

平成という時代を「矜持を放擲し、偽善に覆われた時代」と総括してみたが、よくもまあここまでネガティブに書いたものだとは自分ながらに思うのだが。

問題はなぜこのようなことになってしまったのか、その原因を探さなければ令和の時代も同じ流れのまま過ぎてゆくことになってしまうだろう。

歴史を振り返れば、私たち日本人は、明治維新の時に儒教、仏教など多くの宗教を捨て去っている。江戸時代には経済第一主義となった時には必ずと言っていいほど、儒教的精神をもとに改革が行われてきた。もちろん誰もが知っているこの二大改革がなければ日本はもっと早く資本主義を取り入れ黒船到来から倒幕に至る失態はなかったということはあるだろう。しかし倫理や道徳というものに戻る精神的支柱をもっていたということができる。

「道徳無き経済は犯罪であり、経済無き道徳は寝言である」とは、二宮尊徳の言葉である。

明治維新後はこれらの宗教に代わり天皇を中心とした社会を築き、少なくとも日本人は天照大神を中心とする神々と天皇の存在に畏敬の念、何かに畏まるための精神的支柱を持ち、道徳観、倫理観のよりどころとしていたと思うのであるが、しかし残念なことに、いつのころからか、天皇に対する行き過ぎた尊崇の思想を利用しはじめ、それが太平洋戦争へとつながり、昭和20年の終戦により、日本人はすべての宗教と精神的支柱を失ってしまったのではなかろうか。

唯一絶対神を持たない日本人は、畏まるべき対象を失い倫理観や道徳、善悪の基準となるものの源泉を見出せぬまま、多様性という言葉をもってラッピングすることにより倫理や道徳、善悪の追及を避け、経済的合理主義とそこからもたらされる利益こそが人間の幸福の源泉であり、すべてであると信じはじめ、倫理や道徳、宗教的畏敬の念などは無用、邪魔なものとし時代は流れていく。

現状ではその終点が平成なのである。つまり平成のこの状態を産んだのは間違いなくバブルとバブルの崩壊であるが、ではバブルを生んだのはといえば、戦後の日本の経済一辺倒の国の在り方ではなかったか。当時日本はエコノミックアニマルと評されていたと記憶している。

少しでも道徳教育に力を入れようとすれば統制につながるという批判が起こり、少しでも宗教的要素を交えた話になれば露骨な毛嫌いを示し、直接的な道徳の話となれば、多様性を受け入れない旧時代的な古い人間であると批判され、挙句にはモラルハラスメントという言葉と共に「モラルなどに縛られないことが多様性を認める善である」かのごとき信じがたい「ご信心」が生まれる。これは今でも、ここかしこでそうである。

先日ふとこんな随筆を見つけた。少々長文だが筆者への敬意から全文を掲載する。

 

「からっぽな経済大国に」

個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、その実践によって、文学に対する近代主義的妄信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。 肉体のはかなさと文学の強靱との、又、文学のほのかさと肉体の剛毅との、極度のコントラストと無理強いの結合とは、私のむかしからの夢であり、これは多分ヨーロッパのどんな作家もかつて企てなかったことであり、もしそれが完全に成就されれば、作る者と作られる者の一致、ボードレエル流にいえば、「死刑囚たり且つ死刑執行人」たることが可能になるのだ。作る者と作られる者との乖離(かいり)に、芸術家の孤独と倒錯した矜持を発見したときに、近代がはじまったのではなかろうか。私のこの「近代」という意味は、古代についても妥当するのであり、万葉集でいえば大伴家持、ギリシア悲劇でいえばエウリピデスが、すでにこの種の「近代」を代表しているのである。 私はこの二十五年間に多くの友を得、多くの友を失った。原因はすべて私のわがままに拠る。私には寛厚という徳が欠けており、果ては上田秋成や平賀源内のようになるのがオチであろう。 自分では十分俗悪で、山気もありすぎるほどあるのに、どうして「俗に遊ぶ」という境地になれないものか、われとわが心を疑っている。私は人生をほとんど愛さない。いつも風車を相手に戦っているのが、一体、人生を愛するということであるかどうか。 二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大(ぼうだい)であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。(作家) 

◇みしま・ゆきお 本名・平岡公威(きみたけ)。大正14年、東京生まれ。昭和24年の「仮面の告白」で作家としての地位を確立。代表作に「金閣寺」「豊饒の海」など。戦後社会の甘えを憂い、44年の「文化防衛論」で文化天皇制の理念を示す。45年11月、「楯の会」メンバーと自衛隊市ケ谷駐屯地で自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺した。                  ◇この随筆は、昭和四十五年七月七日付産経新聞夕刊に掲載されたテーマ随想「私の中の25年」の一回目を再掲載したものです。

 

以上は、作家三島由紀氏の随筆である。三島由紀夫といえば右翼の危険なおじさん的な見方しかできなかった私だが、このたび、平成を振り返っているうちにこんな文章にあたった。

これを読むと昭和45年私が10歳のころ、まだインターネットなどない時代に、すでに三島由紀夫氏は今の平成の時代の終局の有態を十分に予測していたことに驚かされるのである。もちろんまだバブルも始まっていないが、やはり時代は連続しているのであり、既に平成の

「矜持の放擲と偽善に覆われた時代」

(三島由紀夫氏の言葉でいえば「空っぽな経済大国」)

の遠因は存在していたのであり、作家で鋭敏な五感を持っていた三島由紀夫氏には、その行く末がはっきりと見えていたのかもしれない。そうなるとこれらの原因はやはり戦後を出発点としているのではないだろうか。

 

 

 

 

<新一万円札平成生まれの若者に期待を込めて>

しかし時代の流れというものは、どうにも逆らえないものである。今この時代に生まれた者は、その時代の何かが間違っていても、その間違いを許容して生きていかざるを得ないこともまた事実。

大きな振子が300年かけて右から左に振れる時代に生まれれば、何をどう叫ぼうがその時代はその振子の振れるに従って生きるしかない。それでも真実を叫び続ける者を偉人というのであろう。歴史を振り返ると多くの偉人といわれる方がいるが、その偉人が生きている時代においては、ほとんどは無視され、迫害を受け、はたまたその叫びが原因で命を落としている。

もちろんそうでない偉人もいる。その一人に渋沢栄一という埼玉が誇る偉人がいる。この方次の1万円札の肖像画になるそうであるが、そこに込められたメッセージが幾分令和の時代に希望の光を与えてくれる。矜持の放擲をくい止めるのではないかという期待をするのである。

「儲かればよい」、「自分さえよければよい」、「儲けるためには何をやってもよい」、「今さえよければよい」こんなことがまかり通ったのが平成の時代であったが、渋沢栄一氏の肖像画を1万円札で見るたびに、「論語と算盤」「道徳経済合一説」というまさしく温故知新的な思いを呼び起こし、静かな中に確実な時代の流れを変える改革が起こることを期待したい。

平成という時代を振り返ってみたが、上の例に挙げてきた出来事や問題は全て昭和生まれの人々のなせる業である。つまり平成という時代に生まれた若者たちは、平成という時代を形作ってはいない。むしろ平成生まれの若者は、今私がいってきたことを冷静な目で観察しているのではないだろうか。その行き過ぎた振り子を制止させ又は反対に振り戻そうとするエネルギーを平成生まれの若者は持っているのではないかと期待するのである。

 

 

<平成のスポーツ選手はすごい!>

平成という時代の暗い部分ばかり書いていしまったが、ここで一つ明るい話題も綴ろう。スポーツの世界は、上で書いてきたこととは無縁の素晴らしい時代であり、平成のスポーツ選手は昭和と比較にならない活躍をした。

私が震えるほどすごいと思った筆頭は、オリンピックのトラック競技それも男子400メートルリレーで銅(最終的には銀)メダルを取ったことである。技術や努力がものをいう競技または階級制の競技なら日本人にも可能性はあると思うが、いわゆるスピードとパワーこそがものをいう競技でアジアの日本人が欧米アフリカと互角に戦い銀メダルというのは昭和の時代には考えられなかったことである。

また競泳もそうだ。メドレーリレーという種目でメダルに手が届くということは思ってもみなかったことである。

マラソンの高橋尚子さんもすごいこの方は金メダルを取っている。

大リーグの野茂やイチロー選手また平成終盤の大谷翔平選手も世界の中で互角にいやそれ以上に活躍しているということは、日本人として素直に喜ばしいことである。

それ以外にも大きなニュースにならずともそれぞれの競技での底上げ的な活躍をしている選手が大勢いるのだろう。そうでなければこのような結果は出ない。ぜひ令和の時代も世界の舞台でスポーツ選手が活躍して我々日本人を喜ばせてくれることを期待したい。

令和の時代こそ平成生まれの方たちが中心で活躍する時代であり、大いに期待できるといっていい。平成生まれの若者の皆さんには思いっきり遠慮しないで活躍していただきたいと思う。

 

 

<令和への改元は新天皇即位による~>

令和の時代は、その始まりにおいて、多くの国民が奇妙な盛り上がりと奇妙な高揚感の中幕開けした。私が奇妙と感じるのはなぜであろうか?

先ず自分の中に世間の方たちが大騒ぎをするようなお祭りムードはない。私の中には明仁上皇陛下が生存中の退位を望まれたという重い事実とその上で徳仁親王が新天皇に即位されたという厳粛な事実である。この事実に寄り元号が変わったということである。だから私にとって改元自体がフィーバーするものではない。

明仁上皇陛下は、自らの高齢に寄り国民の象徴としての務めを果たせなくなってきた以上、現憲法下における国民の象徴としての天皇の位にあることは妥当ではないとお考えになられたようである。このお考えは、上皇陛下ご自身がご自身の熟慮に寄りなされ、国民に向け公表されたようであり、これを最大限尊重した国民の判断は、憲法上も歴史上も正しいことであると思う。

令和となったことは、今述べたように新天皇即位による。そこで天皇制について思うところを書いておこうと思う。

昨今、皇室の皇位継承者の減少、宮家の減少を危ぶみ天皇制について盛んに世論調査などが実施されている。質問としては

女性天皇を認めるか    賛成80%超

女系天皇を認めるか    賛成60%超

現憲法下において、

「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」 (日本国憲法第1条)

であるので、女性天皇を認めるも、女系天皇を認めるも国民の総意によるわけであり、国民が決めればよいのである。

ただこれらの議論をするときに、大切な前提が国民にきちんと説明されていないことに危惧を感じるのである。

女系天皇を認めますか?という質問は、

「今までの天皇制は廃止し、新しい王政をもって日本国民の統合の象徴とし、憲法としての天皇象徴制を維持しますか?」

という、殆んど憲法改正に匹敵する議論であり、質問となることの歴史的意味をどこのメディアも説明していない。

 

現天皇制は、日本国憲法にその基盤があるのは事実であるが、実はこの象徴天皇制とすることについて私たち日本人は総意をもって決めたことはないのである。ではなぜ戦後日本国憲法に天皇制がのこされ、象徴天皇となったかといえば、端的に言えばGHQがその方が日本統治の上で都合がよいと考えたからである。ではなぜGHQはそう考えたのか?

その答えが日本の天皇制なのである。

日本の歴史を振り返れば、鎌倉時代以降、政権は武家が握り、権力は武家が行使してきた。それから800年もの間、日本の最高権力者であった武家政権も天皇家だけは滅ぼすことができず、日本の最高権威として天皇は存続する。江戸時代の「禁中並公家諸法度」などという法律があり江戸幕府は随分と天皇と公家の存在に面倒を感じていたという印象を受けるが、それでも天皇家は犯すことができない存在として天皇制は存続し続けたのである。これが外国との戦争である太平洋戦争による敗戦後も、やはり存続した というより、直接統治したアメリカも存続させざるを得ないほど日本人もしくは日本国と天皇は特別なのである。

では、なぜ特別かといえば、日本人の祖先たちは日本を治めるのは、「天壌無窮の神勅」により天照大神の子孫に決まっていると信じてきたのであり、古事記、日本書紀に書いてあるとおり、この系統は神武天皇以来万世一系でなければならないものと考えてきたからである。したがって天皇は神の子孫であり、日本の創始者である神の子孫以外にこの国を治めることはできないと信じてきたからである。

勿論、今神話を本気で信じている人は殆んどいないであろうし、歴史学者により神武以来の万世一系は否定または疑問を呈され、史実的には万世一系を認められるのは遡ること第26代継体天皇までであるということもある。

しかしこの場合大切なことは、「天壌無窮の神勅が本当にあったか」、とか、「天照大神は存在したか」、とか、「神武以来万世一系であったか」、とか、という真実ではなく、我々日本人が1200年もの間、天皇が天照大神の(男系)子孫であり、天壌無窮の神勅を受け、万世一系の神の血統を受け継ぐ誰も侵すことはできない存在として大切にし敬ってきたという事実である。

よって権力争い、覇権争いの当事者に天皇がなることはない。だから頼朝も信長も秀吉も家康も、そして外国の戦勝国も天皇にとって変わることはできず、天皇を排斥することはできなかったのである。

この1200年の歴史が天皇制なのであり、現憲法が誕生したときも、この天皇制なのである。

戦前戦後を通して天皇であられた昭和天皇の時代に完成した

現憲法の第2条

皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」

はそのことを言っている。そしてその時定められた皇室典範が男系男子の継承を定めているのであり、男系であることは1200年の歴史の追従であり、これは当時の日本人の常識といえば常識であった。

女系になるということは、日本人にとっては、この神の血統が別の血統にとって変わることである。仮に武家政権の時代に血統の変更があったとしたら、

「天皇になるのは俺でもよい」

という権力者が現れ、足利何某が天皇になっていたかもしれず、その後もその天皇は実力者に滅ぼされ、結局天皇制は他国の王政と何らかわらないものとなり、そもそも天皇制はこの長きにわたる存続はあり得なかったといえる。

現憲法に天皇制が定められているということは、この事実を踏まえた判断であり、今天皇制を議論するときに、この事実を踏まえたうえで議論しなければ、天皇制を議論することにはならない。60%を超える女系天皇賛成派の人たちの中にどれだけこのことを踏まえた賛成者がいるのか疑問である。

先日読売新聞にある学者が、「いま私たちが天皇を尊敬しているのは象徴としての御振舞いにあり、けして血統ではない」という主旨の発言をしていたが、これは半ば事実誤認である。

勿論明仁上皇陛下は、現憲法下における象徴天皇としての自らのあり方を探求し、模索し続け、国民のだれもが尊敬する御振舞いをなされたことは事実であり、多くの国民は上皇陛下を尊敬してきた。そしてそこには大変なご苦労があったものと推察する。徳仁天皇陛下もこれを受け継ぎ、模索を続けていくことであろうし、我々もその御振舞いに最大限の敬意を抱くであろう。

しかし「血統ではない」といいきる辺りが平成らしい偽善的表現としか言いようがない。「男子の血統を云々する人間はグローバルではなく、時代錯誤の人間であり、自分はそんな頑迷な人間ではない」とでも言いたいのであろうか。いずれにしても憲法に対する主張としては片手落ちの感は否めない。

国連の女性差別撤廃委員会というところが日本の天皇制について男系のみを天皇とする制度は男女平等に反するという趣旨の勧告をしたということもあったようだが、この委員会の構成員の方たちは他国の歴史や文化への理解は気にしないようである。そもそも天皇制は1200年の伝統であり、現代における合理的な男女平等議論で語ることはできない。天皇は一般国民ではないし、なにも日本国民たる女性が憲法上、法律上、法的男女差別の中にいるわけではない。

こんな言い方を続けていると、この人は「コテコテの右寄りの方?」と思われそうだが、私は、現憲法の天皇制とは何かについて事実を把握したうえで議論すべきであるといいたいのである。

最終的に天皇制を現代の男女平等という感覚に合わせていこうという考え自体を否定するものではないし、誤認の上の判断でなければ、それは国民の総意として何ら問題はない。

ただ例えば

「奈良県にある法隆寺というお寺を現代の感覚に合わせ、鉄筋コンクリートの建物にしましょう!」

と言いだす人がいて、法隆寺の存在そのものの歴史的事実をしらないままアンケートを取って

「60パーセント以上が賛成である」とし、

「日本国民は法隆寺をモダンな鉄筋コンクリート造とすることに賛成だ」

となったら、それはいかがなものかと考えているのである。

(因みに法隆寺が日本最古、いや世界最古の木造建造物であることは、義務教育の中で教えるのでその価値を知らない人はほとんどいない。)

 

<おわりに>

少し長文に過ぎてしまったようだ。しかし短縮できない。文才がない。

ただ思いの丈はこのとおり。歴史の史実の記載について間違いもありそうなので、誤りがあればご指摘いただけるとありがたい。

私がここに書いたことは、普段からそう思っているという方もおられると思う。また「古い考え方」と批判的にみられる方もおられることだろう。上に書いたことの中には我が国固有の問題ではなく、世界の潮流であるということもある。それこそ私のこの考えも多様性の一つとして一考していただけるとありがたい。

しかし、夫婦でも、親子でも、友人でも、仕事の上でも、又は国家と国家でも時にはしっかりと相手の目を見て、膝詰めで真実を語り合うことが必要であると思う。「はやりすたり」ではなく「新しい古い」ではなく、「欧米もそうだから」ではなく、変化は変化として認識しつつも、しかし普遍的なものと真実を追及する視点を持つことが必要であると思う。その視点が欠けるとすべては平行線のまま、何かを誤ってしまい取り返しがつかなくなってしまう。人類が核兵器を大量生産したように。

平成が終わり新たに令和が始まったが、平成からの課題が山積している日本である。どうかいい方向に向かい、いま育っている若者や子供たちが胸を張れる日本になってもらいたいものである。

 

令和元年5月10日