時の流れはあまりにも早く、「みちのく」の謂れを投稿し、2年になろうというところ!
2年近くもなにも投稿せずにいるとは、まったく投稿の意欲がないか、もしかしたらもう「渡辺さん相当お歳を召されたか」、と思われそうです。どちらも正解かもしれませんが・・・。
しかしちょっとここで、ゆっくり時間ができ、気が向いて投稿したくなりましたので、久しぶりに「みちのく」のあとがき的なものを書いてみようかと思います。
先月のことですが、娘たちも大きくなり、「結婚するとしたらどんな結婚式がいいかな?」などと話をしていたので、家内が私たちの結婚式のビデオを出してきて家族で視聴しました。ビデオの中は27年前の出来事です。
それを見た娘たちは何と大笑い!何がおかしいかといえば
「パパ古臭い」
「パパかっこ悪い」
「パパメガネがへん」
??????? 挙句には
「ママ~よくパパと結婚したね?」・・・・・だって!
こんな下品なことを言う娘に育てた覚えはないのだが~~・・・。
そんなことを言われながら私もビデオを見ていると
あれ!高砂の席で私の左に新婦の家内がいる。
え~・・そんな馬鹿な!
私の記憶では、あの高砂の席で何も口にしない家内に、「このお肉はすごくおいしいよ!少しだけでも食べれば」と私の右に座っている家内に言ったことは間違いない記憶なのだ!しかしビデオの中では私の左に家内がいる。勿論正確には、お内裏様が向かって左にいるのだから高砂の席の並びはビデオが正しい。それが現実だ。
しかし私の家内に話しかけたときの記憶では、私は私の右にいた家内に話しかけたことは100%間違いのない記憶として残っている。高砂の席では私は家内の左の横顔を常に見ていたし、左の横顔しか覚えていない。
う~ん~。
ところが、これとまったく同じような反転記憶が私の記憶の中でもう一つ存在する。それが「みちのく」の絵の道の描き方だ。
河野景子さん(仮名)から送っていただいたパンフレットを見たとき、本文では「あ!これだ!」と書いたが、実はその絵をパンフレットで見たとき、この絵は左右が逆なのではないか?私の記憶では道が向かって右手から左手下の方にカーブし、そのカーブの中にあの鹿踊りの庭があったのだ。私の記憶そのものは100%右から左下にカーブしていた。だから「あ!これだ!」とはならなかった。
藤原画伯は、全く似たような絵を反転して2枚描いていたのかな?と思ったくらいその道のカーブの方向について信じ切っていたのだ。20年間変わることなく。しかし藤原画伯の大作の中で同じ絵を反転して描くなどということはあろうはずがなく、あるのは「みちのく」を油絵で描いた「月宴」という作品があるが、これは「みちのく」のそのままの油絵バージョンだ。
やはり私の記憶が左右逆転している。パンフレットで見たときのこの感想は話の流れをせき止めてしまうことだったので、本文では省略したが、結構頭の中をぐるぐるかき回されたショッキングな事実だった。その絵をみても結婚式の記憶と同じく、自分の記憶は左から右には修正されない。
こんな経験を2度もすると、人間の記憶は不正確であると改めて思う。また、あまり信用できない。もしかして裁判で証人として呼ばれても、100%の自信をもって事実と違うことを証言してしまうかもしれない。もちろん自分の記憶の通り述べる以上判例では偽証罪にはならないが、それで罪のない人が罪人になったら大変なことだ。
今後の人生でそんな場面が来ないことを祈るばかり。
特に自分の記憶に強く残る記憶は、心底の感動やショックを伴っていると思うので、こんなことになるのかもしれない。心理学の専門家の方に聞いてみないとわからないが。(「珍しいですね!そんなことあなただけですよ」といわれたら、これはまたショックです)
最近国会に呼ばれたあの証人も、もしかしたら、何かさかさまに記憶して自信をもって違う証言しているかも・・・・・・?きっと心底からのショックを伴った?記憶を証言するのでしょうから。・・・・。