「みちのく」との再会
車で10分弱の距離を走っただろうか。
しばらくすると、武田信玄さんの車は北上川を渡り、すぐ右折し、そこから河川敷の方に入っていった。雑草の間を少し走ったところで、少々背丈の低い雑草の中に武田信玄さんの車は止まった。私もその近くの車を止められそうな雑草の中に車を止めた。
おりてみると。
あれ!もしかして私が20年前にきた藤原美術館そのものか?
どこからみても人の手がしばらく加えられていない廃虚そのもの。雑草をかき分け、鉄骨の階段を数段上ると玄関の扉があり、武田信玄さんはポケットから鍵を取出し、その鍵を開け私を中に招き入れてくれた。中に入ると何度か北上川の洪水にあったのだろう、木の床は濡れては渇きを繰り返し、反り返り波を打っていた。長い間静寂を続けてきた場所特有の深みのある静けさがある。玄関から左側に入ったところに広めの部屋があり、そこに沢山の絵が並べられていた。いくつかの肖像画などは額に入れられ高い位置に飾られていたが、多くの絵はあるいは額に入った状態で数枚並べて立てかけられ、あるいは賞状のように丸められた状態で保管されていた。立てかけられた絵の中から河野景子さんからいただいた冊子の中に紹介されていた絵を数枚見つけることができた。屏風となっている絵も見つけた。
しばらくすると、武田信玄さんが丸まっている絵の中から一枚の絵を出し、広げて見せてくれた。
「渡辺さんの言っている絵はこの辺りでしょうか?」
「あっ!それです。」
てっきり誰かのお宅の応接間にでも飾られているかもしれないと思っていたけれど、こんな状況でこんなあっさりと会うことができるとは・・・・・。
車の中でだれともわからない人を相手に、絵を譲っていただくための説得の練習をしてきた私としては、若干拍子抜けした感は否めない。
しかしそれは一瞬のこと。
さあ、どうすればこの絵を私は持って帰ることができるだろうか?頭の中ではそんなことを考えながら、一旦元のところに絵を戻していただき、武田信玄さんと藤原美術館の関係や武田信玄さんのお歳など尋ねながら美術館の中を案内していただいた。
お話を伺うと武田信玄さんは私と同い年であった。
武田信玄さんは学生のころ藤原画伯の長男の方が主催していた劇団に所属し活躍していたそうである。そのためよく藤原美術館に入り浸るほど通っていたということであった。確かに美術館の中には画伯の絵の他にたくさんの人形劇の役者たち(人形)が無造作に積まれていた。
「もしかすると、私が20年前にここを訪れていた時、武田信玄さんもこの美術館で何かなさっていたのではないですか?」
「もしかするとその時もいたかもしれませんね~」
絵と会えたこともうれしかったが、20年前のあの感動の場面に、もしかしたら居合わせたかもしれない同い年の方に会えたことも増してうれしかった。だとしたらお互い19歳の学生である。何か不思議な縁を感じる、何か武田信玄さんは20年前に「また会おうね」といって別れたあの絵の妖精そのもののようでもある・・・・。
しばらくすると武田信玄さんが引き出しから一つのお面をとりだし私たちに見せてくれた。
「このお面は、面の中で一番優れた相をしているお面なんですよ」
20年前も案内役の方から全く同じ説明を聞いた。そのお面を手に取り角度を変えて眺めていると、あの時の記憶がふつふつと甦る。お面を手にしている私は、いつしか19歳の私になっていた。感動に包まれながら武田信玄さんに美術館を案内されている私は、時というものの一瞬と永遠が錯綜し、不思議な時空の世界に浸っていた。
絵を譲っていただけるかどうかは別として、私は20年前に会い難き友「みちのく」と会うことができ、そして再会を約束し、そして全く同じ場所で約束通り「みちのく」と再会できたこと、そしてまるで「みちのく」の妖精のような武田信玄さんとお会いできたことに感謝し文字通り、喜びに震えていた。
私のこの時の北上行は、この時点でほぼ満足の旅となった。
藤原美術館を後にした私たちは、武田信玄さんにお誘いいただき、北上川のほとりにある展勝地のレストランで昼食を共にさせていただいた。ささやかながらお土産を武田信玄さんにお渡しし、その日の北上祭りの見どころなどアドバイスをいただき、午後は武田信玄さんともお別れし、家族でまつりを楽しむことができた。絵を探すためのシリアスな旅となるところであったが、子供達もその予告から解放され、その後は普通の家族旅行をすることができてよかったのだろう。いずれにしても絵のこととは関係なく常に楽しそうにはしゃいでいた。
私は昼食後、この再会のためのもう一人の恩人、北上市生涯学習センター(遊・YOU学園)芸術文化係河野景子さんにも是非一目お目にかかりたく、お礼をいうため立ち寄ったが、残念ながら河野景子さんは休暇中であった。居合わせた方に簡略に顛末を話し、くれぐれもよろしくお伝えいただくようご挨拶をして所沢のお土産をお渡しし、生涯学習センターを後にした。
それから約1年後「みちのく」は私の事務所に展示されることになった。
恋い焦がれた初恋の人とめでたく結ばれたとご報告させていただこう。
「みちのく」との顛末で一つ心残りのことがある。
それは今でもあの冊子を送ってくださった河野景子さんにお会いできていないことである。誠実な方であることは間違いなく、電話の声からしても、きっと美しく、優しく、天使のような女性であることは間違いない。「みちのく」のもう一人の妖精である河野景子さんにこの場を借りて改めてお礼を申し上げたい。
そして、近い将来直接お会いし、お礼を言えることを楽しみにし、また8月の北上まつりめがけて家族旅行でも計画しようか。・・・。
おわり