藤原八弥画伯の「みちのく」について~4

長すぎた20年の時の経過~2

さて、あの藤原美術館はどこにあっただろうか?北上川のほとりであったことしか覚えていない。私は北上市役所に電話し藤原美術館の場所を問い合わせた。

電話は北上市教育委員会事務局生涯学習課につながれた。

私― 「藤原美術館」というところに行きたいのですが、所在を教えていただけませんでしょうか?

担当者―「ふじわら美術館ですか?」

電話の向こうで「ふじわら美術館って知ってる?」

担当者―「その施設は北上市の施設ですか?」

私―「北上川のほとりにある高床式平家建の小さな美術館ですが、北上市であることは間違いありません」

1分ほどして担当者は

担当者―「調べてみましたが、そのような美術館は見当たらないのですが」

私―「えっ・・・・・」絶句!

あの無二の親友、あの初恋の人は、夢か幻か・・・・。

そんなはずはない。

私は、20年余り前のことであることと絵画の内容を詳しく伝え、だれかそれを知っている人はいるはずであると執拗に食い下がった。「調べて電話を頂けませんでしょうか。」

翌日生涯学習課の担当者河野景子(仮名)さんから電話をいただいた。

「藤原美術館がかつてあったことはわかりましたが、その先生が亡くなられたようで、その後は市の方では把握ができないのですが。」と

私はそれでも食い下がった。

「あったことが事実でその絵描きさんが亡くなられたことがわかれば、どなたか相続人の方がおられるはずです。」

私は再度河野景子さんにその絵画の内容を詳細に説明し、

「どこかにその絵のことを知っている方がおられると思います。どんな些細なつながりでも構いません。糸口さえあれば後は自分で探します。藤原美術館につながる糸口を探して提供してもらえませんか。」

なにげなく、二度と会えなくなってしまったかもしれない喪失感に覆われる。時がたちすぎてしまったか・・・・。だめかもしれない・・・。(こんな時人はネガティブになりマイナス思考になるようである。)あ~もうだめだ・・・。

とにかく遠い岩手県のことで私は20年前に一度行ったきりなので、全く糸口がなくそこの糸口だけは地元の人に頼らなければならなかった。

つづく